JA全農あきた
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ごはんのふるさと秋田から
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秋田米生産者「感動ダイアリー」
 

【第17回】 
JA秋田おばこ
農事組合法人スカイマックス千畑
熊谷幸太さん

【第16回】 
株式会社大潟村カントリーエレベーター公社
椎川 信一さん

【第15回】 
JAあきた北 稲作指導員
小林 文進さん

【第14回】 
JAおものがわ
下大見内営農組合組合長
後藤 東一さん

【第13回】 
JA鷹巣
長崎 久美子さん
長崎 成人さん

【第12回】 
JA秋田みなみ稲作部会
部会長
吉田 勇雄さん

【第11回】 
阿仁清流米生産者グループ
就農50年
伊東 孝夫さん

【第10回】 
JAかづの
秋田県指導農業士
成田 誠さん

【第9回】 
JA湖東
大川農政会会長
島崎 幸喜さん

【第8回】 
JAうご
稲作部 後藤 千代助さん

【第7回】 
あきた白神農業協同組合
稲作部部会長 佐藤 智之さん

【第6回】
秋田県青年農業士
由利 稔幸さん

【第5回】
秋田県農業協同組合青年部協議会
副委員長 進藤 敏和さん

【第4回】
JA新あきた 稲作部
部会長 藤田 正義さん

【第3回】
秋田県農業協同組合青年部協議会 委員長 福士 保洋さん

【第2回】
JA秋田おばこ 稲作振興協議会
会長 判田勝補さん

【第1回】
明沢地区特栽グループ
代表 高橋 元さん

 

 
【第3回】 秋田県農業協同組合青年部協議会 委員長 福士 保洋さん

 秋田県の16JA(農業協同組合)には、39才までの農業を営む若者で構成する青年部があります(40才〜50才は壮年部)。その青年部協議会のリーダーである福士さんは、歴史のある「農業」という分野で今、何を先輩たちに伝承してもらい、伝承していかなければならないのか、屈託のない笑顔で未来のビジョンを語ってくれました。
 福士さんの農業の舞台は、平成17年に八森町と峰浜村が合併して生まれた八峰町。世界遺産である白神山地の麓にあるこの地で、未来の担い手として「変わって良いこと」「変わってはいけないこと」を常に前向きに考えていらっしゃいます。
 秋田県能代市で離農した家庭で育ち、会社員から一転し農業を営む八峰浜町に婿入りした自らの体験を基に、担い手として、リーダーとして、今の時代を生きる等身大のビジョンを伺いました。



秋田県農業協同組合青年部協議会

委員長 福士 保洋ふくし やすひろさん


就農10年目
農業生産法人(有)スーパーフライトアグリ 取締役


どんな業界でも笑いが絶えない集団って、
面白そうだな、そこにハマりたい!って思いますでしょ。
「楽しくなければ農業じゃない!」

平成7年、結婚を機に八峰町(旧峰浜村)に来たわけですが、すぐに農業を本職としたわけではなく、当時は会社員として自動車整備の仕事をしていました。
農業を営む家に婿入りしたわけですから、いつかは私も農業が本職になると思っていましたが、それは明確ではなく当時は手伝う程度でしたね。

まだ彼女と結婚する前のある春のこと。
彼女のお父さんから突然の収集命令(笑)。
「オメーさ、キャベツ教えねばねーから、ついてこい」って…。
とりあえず意味も分からず「はいっ」って、言う通りキャベツの収穫等を手伝っていたのです…。
そこで私が見、得たものは、キャベツの収穫方法やその知識というよりは、とにかくみんなが楽しそうに笑って仕事をしている元気な姿でした。

自分たちよりずっと年を重ねた人たちの活気ある笑顔は、
命あるものと向き合って生きてきた強さと、
気まぐれな天候と仲良くやってきた大らかさを感じました。
何より「楽しそうだな〜そこにハマりてな〜」って思ったんです。
そこに何があるのかな…って。
それがきっかけで自然と農業の魅力に巻き込まれた感じです(笑)。
農家ではない近所の方々も、とても農業に対して協力的なのには感動しました。
収穫などの忙しい時期には、人の子も我が子のように面倒見てくれたり…。

そして、農業で暮らしている人たちが50%以上いるという八峰町のことを思うと、
これからの農業を考えずにはいられなかった。

平成9年、私は会社員から一転して就農しました。
農業という家族で行う仕事に就くことで生活が変わり、
1日の食事を、幼い長男、長女と食卓を囲んで食事ができる。
それだけでも嬉しかった。
会社員の頃は忙しくて家族とまともに会うことも少なかったから。
「食事を家族で一緒に取ること」、それがとても大切なことで、農業の基本なのかなと感じましたね。

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無人ヘリ操縦の習得で、担い手としての強い組織を作りたい。
農業も、強い個人の集合体であるべきだと思うから。

スーパーフライトアグリのメンバーと無人ヘリ
スーパーフライトアグリのメンバーと無人ヘリ

私は、無人ヘリコプターによる防除を行う会社を仲間と営んでいます。
無人ヘリのオペレーターは12名。
(有)スーパーフライトアグリという会社で、水稲大豆への防除をはじめ、各種作業受託もしています。
高齢化が進んだ時の農地の管理や、作業の受託を含め地域農業の受け皿になれる組織を目指しているんです。

人との繋がりから、個人の信用で田主が私たちに管理を任せてくれる。
その気持ちとその信用にきちんと応えていきたい。
だって、それが本来の望むべき、シンプルな形だと思うから。
個人に任され、信頼感で頂いた仕事は、一人一人の責任感が違ってきますから。
それがあって初めて会社(チーム)が活きると思う。

今では県外からもお仕事を頂けるようになり、
他県に行くことで、その土地の生の声が聞け、
秋田の農業を再発見することもあります。
同じ土地でもこんなに立地が違うのか、やり方が違うのか…と驚きの連続。

無人ヘリの操縦練習
無人ヘリの操縦練習

秋田を客観的に見る目は、この仕事で養えました。
秋田の気候とカメムシ、イモチ病との関係も他県とは違うし、湿度も高く、同じ日本海側でもこうも違うものなのかと…。
日中が温かく朝晩寒い、その寒暖の差が激しい気候であることも秋田の大きな特徴。
だからこそ、それを乗り越えれば稲が疲れなく、稲のうまみがぎっしり詰まっている最高に美味しいあきたこまちができるということも知りました。
また、他県の真似して生き残れる仕事ではないということも、はっきり分かりましたね。

その地域には、その地域の特徴がある。
他県を参考に自分たちの良さを引き出す米を作っていきたい。
周りを知ることは大切だけれど、
地元でしかできない地元スタイルがあるから。

後に続けと言わんばかりに、年に一度の無人ヘリ操縦試験に挑戦する者たちがいます。
その指導をしながら、仲間と語ることはヘリのことだけではありません。
そういう時間がとても大切だと思うのです。

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不安がなかったわけじゃないけど、
僕たちは、過去に学習し未来を生きているのだから。
欲しい人が望む米を作りたい、その一心です。

福士さん
福士さん

最初、専業農家に対する不安がなかったわけではありません。
何も分からなかったし、実の両親から聞いていた話だけでは正直、不安はありましたよ。
過去、農地解放で離農した人はたくさんいたと思う。
私の実家もそうでした。
過去の農業政策の移り変わりに関しても父や母から聞いていました。
父は晩酌するとよく田をとられた話をしていて……。
田主の所有する「土地」に対する心、執着心を感じてきました。
でもお酒が入っているからこそ出て来る本音を、今に生かしたいと思って奮闘しています。
土地を荒らしたくない思い、機械化によるメリットデメリット…。

農業に関わるたくさんの人たちの個々の考え方がある中で一概には言えませんが、
農業は歴史が長い分、その長い時間にヒントがたくさん隠れているように思うのです。
戦後、小作人が自分の土地として稲作を行うことで、田に責任をもって行うことができた。
そんなことを考えるようになって、
先人の時間を学びながら「自分らしく今を農業に懸けたい」そう思っています。

今は青年会の委員長をしていますが、肩書きをとっぱらって
等身大の自分で目の前にいる人と話していきたいし、
目の前の農業を考えていきたい。

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伝承…
世代を超えた付き合いを地域でどれだけしているだろうか。
「私はこういう環境で育った!」と自慢して言い切れるほど、
今、自分が生きている土地を知り尽くしたい。

「若い人たちに伝承しなくては…」という発想も大切だけれど
今の自分は「自分たちがいかに楽しく農業を営むか」が大切だと思っています。
だって、楽しくないところに人はよってこないし
新しいものも生まれない。
興味がなければその真髄まで考えることもないだろうし、

昔の自分もそうでしたが、代々やって来た通りにすればそれでいいという考え方では、
きっと、目の前のことをこなすだけに時間を費やしてしまうでしょ。
「楽しい」、この「きっかけ」がなければ本当の意味での伝承にはならない。
私が義父の楽しそうな農業に、いつの間にか巻き込まれていたのも
「なんだかおもへそう(とっても楽しそう)」がきっかけだったと思うから(笑)。

そういう意味で、地元の塙小学校で行っているのが「バケツ稲」。

バケツ稲の実習の様子
バケツ稲の実習の様子

稲をバケツで育て収穫し、秋には自分たちで食べるという活動をしています。
食育の一環として稲作部会と協力し行っています。
本音を言えば、今まで学校単位で行われていた稲作りの体験教育が無くなってきていることがくやしくて復活させたんですけど(笑)。
子どもたちがそこで「どんな知識を得ているか」も大切だけど、「何を感じ取っているか」が大切だとおもうんです。
地元の子どもってかわいいですよ(笑)。
バケツ稲のようなひとつの舞台がないと世代を超えて楽しさを伝えることも難しくなりますからね。

また、私たちの地元では毎年8月13日に「駒踊り*」が行われます。

駒踊り。秋田市で行われたイベントにて。
駒踊り。秋田市で行われたイベントにて。

これがあるから地元に残っている奴もいるくらいです。
見応えがあり、市内外からのカメラマンや見物客も多いですよ。
その中で勢い良く跳ねて踊る「やっこ踊り」があるのですが、昔は恥ずかしそうにしていた嫁も今では楽しそうに踊っています。
楽しそうだなと思うところで、人はやってみようと思うし、気がついたら(楽しんでいるうちに)自分が伝える側になっていることが本来の姿だと思う。

民俗芸能も農業も、青年層が重要な担い手であり、その若い体力を生かした修練により、もっと、もっと輝く舞台になるのだと思っています。


 

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