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ごはんのふるさと秋田から
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ごはんのふるさと秋田から。あきたこまち誕生。
あきたこまち誕生 あきたこまちが美味しい理由 あきたこまちの特長

コシヒカリの弱点を克服して颯爽とデビュー。

「あきたこまち」は、美味しい米の代名詞でもある「コシヒカリ」と、病気と寒さに強い「奥羽292号」を交配した品種です。母親譲りの美味しさをしっかりと受け継いでいる一方で、風や病気に弱く収穫が安定しないという「コシヒカリ」の弱点を克服・改善。さらには、父親早熟性を受け継いでいることから、秋田県においても「コシヒカリ」に匹敵する美味しい米の栽培が可能となりました。

 

米作りの源泉ともいえる雪の渓流。
  本物の味を見極めるため、8年間の月日をかけて改良。

「あきたこまち」の開発は、昭和51年に福井県農業試験場から」コシヒカリ」と「奥羽292号」を交配した種子1株を譲り受けたことに始まります。以後、夏の暑いガラスハウス内での交配作業、実験田での選別作業など、労力と手間を惜しまぬ地道な研究が続きます。こうして生まれたのが「秋田31号」でした。開発を進めて8年。昭和59年に秋田県の奨励品種に採用されると同時に、「あきたこまち」の名称でデビュー。昭和60年春から本格的な栽培が始まったのです。


まさに愛娘のごとく、関係者の愛情を一身に受けて育ったブランド。

「あきたこまち」が、デビューとともに爆発的な人気を得ることができたのは、研究者から生産者、流通業者にいたるまで、官民一体となった努力があったからです。中でも大きな要因となったのが、県内稲作農家の優れた技。過去多くの稲作日本一を排出した秋田県では、高水準の技と知識が幾代にも渡り伝承されています。加えて、秋田県内では「あきたこまち」デビュー当時から、きめ細やかな指導を行い地域特性に適した栽培技術を確立。今日へと続くブランド力を確保しました。「あきたこまち」誕生後20年を経た現在も、食味向上マニュアルの作成、指導を徹底しているほか、DNA鑑定による秋田県産米「あきたこまち」の認証シールを導入。品質の維持、向上に勤めています。営農意欲旺盛な若手農家も多く、県、市町村、JAならびに各研究機関がスクラムを組み、より美味しい米作りに勤めています。

 
田おこし(秋田市)
田おこし(秋田市)

7月下旬から8月上旬にかけて稲の花がいっせいに咲き出す。
7月下旬から8月上旬にかけて稲の花がいっせいに咲き出す。

その名前は、伝統の秋田美人に由来します。

「あきたこまち」の「こまち」とは、県南湯沢市で生まれたとされ、美人の誉れ高い平安時代歌人「小野小町(おののこまち)」に由来します。「あきたこまち」のふっくらとして、絹のようにきめ細やかで光るような肌の美しさは、まさに色白の秋田美人そのもの。秋田県のオリジナル米であることをアピールするために「こまち」前に「あきた」をプラス。美味しいお米として末永く愛されるようにとの願いを込めて命名されたのでした。


小野小町(おののこまち)略史

小野小町は絶世の美人といわれる平安前期の女流歌人で、全国に数々の伝説が作られています。秋田県湯沢市雄勝小野の生誕伝説もそのひとつです。15歳の頃に歌才をうたわれ、仁明天王近くに更衣として仕えました。後宮を退いた後、故郷へ帰り一生を終えたといわれています。

 
毎年6月第2日曜日に出生地の小野塚で「小野堂例祭」が行われます。打ち掛けに市女笠(いちめがさ)の7人の小町が小野小町の代表的な和歌を朗読します。

毎年6月第2日曜日に出生地の小野塚で「小野堂例祭」が行われます。打ち掛けに市女笠(いちめがさ)の7人の小町が小野小町の代表的な和歌を朗読します。
毎年6月第2日曜日に出生地の小町塚で「小町堂例祭」が行われます。打ち掛けに市女笠(いちめがさ)の7人の小町が小野小町の代表的な和歌を朗読します。

 
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